ケーススタディ

SMIのクライアント層は新規企業から60数カ国でビジネスを展開する大企業のCEOなど広範にわたる産業・企業に及びます。これらのクライアントに共通して言えることは、自己成長の為に情熱を持ち、人生の各分野で高い目標を設定していることです。

ケース8
有限会社 まるしげ    代表取締役 佐藤 智明様

カンパニープロフィール

SUSendai Sato

   加藤 智明様

 社名: 有限会社 まるしげ
 創業: 1951年
 事業概要: 和食飲食鮮魚販売
 採用プログラム: PSP・DPM・DTM・DSM・ISP・GIF・SPP・SMP・AIE・ECP・COP
 採用年: 1993年~
   『震災が起き考えられなかったことが、SMIを通じて今出来ていると感じている』

震災

2013年3月11日、店にいるときに、最初は大した揺れではないないと思ったが、徐々に強くなり、店の中は水槽の水が半分以上あふれ、散乱し、ぐちゃぐちゃになった。あたり一面は液状化現象が起きて、水が吹き上げ、道路が波打っており、水道管が破裂したような状況だった。

閖上は海がすぐ近い地域なので、津波がくると伝えられ、避難していった。多くの方が2階建ての避難所から、より安全な西側の3階建ての中学校に移動をしており、私も家族と合流し、ワゴン車でとにかく西の方へと移動した。渋滞して逃げられない状況の中、ぎりぎりのタイミングで助かった。私たちの車が閖上の町を走った最後の車となり、私たちの後の車は全部流されていた。翌朝、号外をみたら、閖上の町があたり一面海になっていた。平成5年29歳の時に9000万借り入れして建てた150坪の飲食事業の建物が写っておらず、その向かいの3階建ての自宅だけがポツンと写っていた。

7000人の町に150坪の飲食店はオーバーキャパシティーだったので苦しみながら店舗を運営していた中、実は震災の前日に融資の申し込みに行き、18年間で初めて融資を断られていた。そんな中で流されてしまい、お金がなく、3月25日の給料日にむけお金をかき集めたが、満額まで払えなかった。翌月から失業保険につないでと皆に挨拶して回り、本当に辛かった。その2日後、地元の人たちが食べるものがない状況をみて、朝市組合の理事長が閖上朝市を開いた。多くのお客様と、2日前に解雇した社員が駆けつけてくれ、私にはこんなに多くのお客様と仲間、こんな素晴らしい宝が残ったのか、という思いを強く抱いた。

しかし借り入れも住宅ローンも残り、多くを失い、だめかという思いしか抱けなかった。

届けられたESP手帳

そんな避難所での生活のもとに、ESP手帳に挟んでいた目標設定シートが、私のところに届けられたのだ。「飲食店2号店出店」、「日本中で誰もが知っている有名なお店にしている」等を会社の社内塾で目標設定し、毎日唱和していたものだ。

流された物やお金等の有形のものではなく、残された無形の宝、SMIを通じて築いてきた心構えや、夢、そして仲間に目を向け、企業をおこし、働く仲間を作り、避難所で働かない人たちが多くいる状況を変え、地元を再建するのだと夢に目標スイッチを切り替えたのだ。翌月からは前を向いて店舗物件探しに走り回った。

出店

すると以前に断られていた金融公庫と地元の地銀から、資金を用意することが出来、それを元手に仙台長町に震災から5か月目に、もともとの閖上の社員と新たな社員を雇い飲食店をオープンした。不安だったが、大変多くの方に駆けつけて戴き、開店当初より売上を上げていった。また、仙台駅直結ショッピングセンターから、とんでもない条件を出していただき、全国に閖上の情報を発信できるという思いを抱き、震災の年11月に2店目の飲食事業の店舗をオープンした。その翌年2月に、名取の仮設商店街にも、さいかい市場という飲食事業を出した。その後、カナダからの支援を戴いて閖上での朝市も再開した。

SMIとの出会い、背景

飲食業を営む実家を継ごうと料理の道に進み、そこで家が魚屋さんを営んでいた家内と出会い、実家を弟に頼み、閖上の魚屋に私が婿養子として入りました。通常は父が築き上げた資産は娘が筆頭ですが、私をまず養子縁組し、婿養子、戸籍筆頭者として迎えてくれたことに、家督意識を感じ、今の自分があるのは、この父の決断と思いがつながっていると感じる。

板前修業を続け、結婚5年目位の29歳の時に、自分のお店を持ちたいというタイミングで、漁亭 浜や事業が立ち上がっていった。そんなときにSMIを紹介された。給料も出ないし、何千万の借り入れの返済だけで大変で、がむしゃらの毎日です。早朝3時から夜は遅くまで、年中無休で一所懸命働いていて、SMIは「あなたの潜在能力まだまだ使ってない」と。衝撃的だった。

担当SMI代理店が開催する早朝勉強会では一言も感想をスピーチできず、イベントでは積極的に名刺交換する人を見て、感動し、私もあんな風になりたい、と目標設定したのが始まりだった。代理店社長から「早朝勉強会に6年間通い続けて成功しなかったやつはいない」と言われ、勉強会に通い続け、SMIを反復し続けた。

SMIの活用

時間を作るためには権限移譲が必要だが、以前、私より経験のある人に安易にお店を任せると、お店の色がガラッと変わり、とんでもない状況になってしまった苦い経験があった。しかし、やはり時間を作るためにと始まったのが、自分の思いを形にする経営理念の制定、そして5年後の目標「浜やドリーム」を定めた。会社の夢、理想の職場をかなえ、会社の業績を上げて、収入を得る。そして自分たちの夢の達成のために会社はあるということである。朝礼や社内塾で自分たちの目標設定をし、反復していった。今でもお店では毎朝朝礼をしている。目標をしっかり定め、真剣に頑張っている。

DPMのレッスン16では魂の羊皮紙に書き込むこと、つまり子供たちに伝わるのは、物ではなく、あなたの行動、愛情しか残らないということが出てくる。私はそれが最高だと思っており、自分が一所懸命率先して頑張り、そんな気持ちを子供に、会社では社員に伝えたいと思っている。会社は社長の心の器以上にならないと言われており、SMIを反復しながらいかにその器を広げていくかというのが、最終的な会社の利益につながり、社員にも伝わっていく。朝礼でしっかり毎日反復することによって、5年後にはこうなっていると社員に伝えていくことが大事だと非常に強く思う。

ポールJ. マイヤーさんの命が滅んでもこのように皆さんに伝わって、皆さんが事業を成功され、幸せな家庭を築いていく、というのは本当に魂の羊皮紙でマイヤーさんが生き続け、意志が伝わっていると強く感じる。 閖上は5年たって、現地復興を一所懸命頑張っています。この魂を伝えることによって後々の代までパワーをつないでいき、街づくりを進めたいと思う。ご縁がありましたらどうぞ閖上にお越しください。今後もこのSMIを魂として各々の地域で仕事、家庭生活に頑張ってまいりましょう。


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ケース7
株式会社 ペッパーフードサービス   代表取締役 一瀬 邦夫様

カンパニープロフィール

PepperfoodS

   一瀬 邦夫様

 社名: 株式会社 ペッパーフードサービス
 創業: 1970年
 事業概要: 飲食店直営店運営、FC展開
 採用プログラム: DPM・PSP・DTM
 採用年: 1992年~
   『自らが成長したいという意志を持って勉強に取り組むと他者と歴然たる差がつく』

SMIプログラムについて

18歳からコックの仕事をし、27歳で独立、今年72歳でコック歴45年になる。40歳を過ぎた頃、上昇志向が湧き、もっと勉強したいと思い、その方法を調べていくうちにSMIを見つけた。スーツケース内の当時のカセットを日課であるジョギング中に何十回も聞き、目から鱗という言葉では表せないほど、気付きが一杯あった。そして、プログラム購入の時にもらった100万ドル成功計画のポスターは、今では変色し、角は丸まっているが、事務所を何度移転しても壁に貼っている。そして、SMIの方に後日紹介をされたのが、現同社の専務で、この出会いこそが会社が飛躍的に成長する切欠となった。

アファーメーション

独立後は、従業員に対して勇気がないので何も言えない状態で、妥協の連続。そして、結局、優秀な人間から先に辞めていき従業員が定着しなかった。いよいよある年、資金繰りが難しくなり、倒産の危機まで追い詰められた。そこまで追い詰められ、ようやくハッと気づき、その危機を回避する為、給料カット、経費節減を断行した。すると、3ヶ月立たない間に会社の状況が良くなった。その理由は自分が経営を真剣にやり始めたからである。とても貴重な体験だった。そこで気づいたのは、人は叱られたり、注意されたりして辞める等という事はなく、逆に叱ってもくれない指導者として疑問が残る人の下では働きたくないのである。指導者は、人を成長させなければいけないということだ。

また、不可能を可能とするというアファーメーションを自分の糧とし、コックの仕事をマニュアル化し、コックなしでも運営が出来るペッパーランチを考えだした。週に何度も肉が食べたいという若い人向けの価格帯を設定。原価は高いが客数を増やし利益を取るモデルが大成功。そのビジネスモデルの先駆者となった。自分でアファーメーションを作り、その通りにやることはとても素敵なことだと思う。

ペッパーランチの成功で、急速に倒産の危機から立ち直っていったが、全ては順調にはいかず、大阪での事件やBSE問題、O-157の問題等で、信用がなくなり、売上がどんどんと下がり、またも倒産の危機を迎えた。だがそこでも、自分でアファーメーションを作成し、その通りに行動にうつし、立ち直っていった。 カット肉を仕入れるのではなく、各店舗でカットすることにより費用を削減するレストランをはじめ、人通りが多い場所に出店し、その存在により、社員のモティベーションアップ、大勢の道行く人の信用を得るという施策等、前向きな活きるお金を使うようにした。それ以外にも、上昇の切欠となったことがいくつもある。ハウステンボスへの出店は、制限がある中で、名前の魅力と集客力で「ペッパーランチダイナー」を採用してもらった。また、「いきなりステーキ」は原価率の高いステーキにごはんやアルコール類を追加することにより原価率を下げ、1時間当たり約3,000円使ってもらう机上の計算をすると、全くその通りになった。

このような経験をし、勇気というのがとても大事だと感じた。そして、本能を刺激するビジネス、何かと何かを組み合わせて全く新しいものをやることを考え、その方法でどこに店を出すと決め、実際に出店し、成功する、という自分が思っていることがその通り出来ることが自信に繋がっている。また、人を裏切らず嘘をつかず、社員を大事にすれば、想いが違う方向の結果に出るはずがないと考えている。

目標設定

昨年は、人も、物件も、お金もない状況の中、年内に30店舗増やすことを目標と決意した。多くの人に反対されたが、社員全員がビジネスを信じ、それを達成。そして、今年は53店舗やると宣言した。店を出すことによって、新しい役割、出世のチャンスが増え、新しい社員も入る。人と組織が成長する。一人ひとりにエンジンが付いているので、既存の店舗から選抜して新しい店舗に人を送り込むことが出来る。それにより困難だと思ったことを、スムーズに行うことが出来た。私のアファーメーションでもあるが、人は成長するように出来ている。更に、自らが成長したいという意志を持って勉強に取り組むと他者と歴然たる差がつくのである。そして、困難から逃げないでいるとあるとき困難が当たり前になる、ということに気付いた。また、やらなければ何も分からないということが会社のなかでよく言われるキーワードとなっている。

そのようなアファーメーションが、外食産業で一番活躍した企業に贈られる「外食アワード2014」の受賞や、26ヶ月連続昨対クリアという結果に繋がっており、それがさらに自信に繋がっている。海外進出は、オーストラリアでは8店舗出店しており、ニューヨーク、LAやバンクーバーにも出店を考えている。これからも海外進出を進め、日本の食生活の向上とこんな会社もあるということを世界に発信していきたいと思う。

だが、店数は関係ない。従業員にとって日本一働きたい外食産業になることを掲げており、それがある限りは横道にそれないと思っている。


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ケース6
ファイナンシャルアライアンス株式会社  代表取締役 松村 光範様

カンパニープロフィール

DPT Matsumura

   松村 光範様

 社名: ファイナンシャルアライアンス株式会社
 創業: 2005年2月
 事業概要: 保険代理店
 担当代理店: ダイナミックスパースンズ東京
 採用プログラム: DPM・DTM
 採用年: 1995年~
   『「Noが怖い」を乗り越え、モティベーションが上がり、クロージングも強くなった。』

SMIに出会うまで

大学卒業後、大手印刷会社で14年間の営業マンを経て、保険会社へ転職。そこで新人賞を取り、2年目も社長杯入賞をしたが、3年目に入り、ベースマーケットが終わったところで勢いがなくなった。紹介してもらい、見込み客を発見するのだが、それが契約に至らなかったのだ。フルコミッションなので、収入も徐々に減っていった。

SMI・代理店との出会い、導入による効果

困っていた時に、同じ営業所の人に、売上が落ちてきている悩みを聞いてもらった。すると、モティベーションを上げる、成功するものを売っている兄に会ってみないか、と言うので、とにかく会ってみようと思った。後日、兄であるSMI代理店の社長が会社に来られ、私はSMIの話を聞いて30分後に購入を決意していた。三好社長によるSMIの説得力のある説明、それとモティベーションという言葉に感動したのを今でも覚えている。

その後、社長と話をし「松村さんは良い人なんですね、何がダメかよく分かったよ。クロージングが弱いんですよ」とはっきり言われた。確かに、説明が終わり、「入りますか?入りませんか?」の話の時に、「主人に相談してから返事をします」等を言われると、「そうですよね、ご主人とゆっくり相談し、考えてください」と応えており、YESとNoの間の、「考えておいてください」と伝えている方が山ほどいた。何故かと思ったが、社長には、「Noと言われるのが怖いんですよ、松村さんは。そこを鍛えなきゃだめです」と言われたのだ。これをきっかけに、モティベーションが上がり、弱かったクロージングを鍛え、強くし、売上も徐々に上げることが出来た。私にとってSMIというのは同SMI代理店の社長なのかなと常々思っている。

保険会社に入って3年目、モティベーションも上がり、また一生懸命売ろうと思っていたところ、ライフプランナーではなく営業所長として、保険を売る仕事ではなく、朝から晩まで受話器を持ち、リクルート(採用)をすることになった。6ヵ月後、採用はゼロで、まずいと思い、SMIのCDを聴き直した。やはり目標を立てなければだめだ、ということで明確な目標を立て、1年後には他の3人の営業所長の方達より多い12名のリクルートに成功した。

新しい会社の設立、今後の目標

営業所長を5年間、支店長2年間を経て2005年ファイナンシャルアライアンス株式会社を設立し、10年で約650名が入社、乗り合い代理店の中では売上5番手である。保険代理店経営というのは、人が全てであり、良い人間を採用できれば会社は発展しする。会社は体制整備、管理整備をきちんとやれば生き残る事が可能なので、お客様から信頼され支持される代理店を目指して行きたいと考えている。

社会生活面の成果

6年間お父さんコーチ、子どもの卒業後12年間専任コーチとして少年サッカークラブお手伝いさせて戴いた。

正式コーチになってまず4年生を見ることになったのだが、見に行ったら蹴れない、走れないという子たちだった。どうやって鍛えていこうかと悩んだ時に、SMIのモティベーションの話を思い出した。モティベーションという言葉を使っても子供なので理解出来ないかな?という部分もあり、常に前向きに考え、自分が苦手なことを目標として練習しろという指導方法で1年間やった。そのチームが5年生になり、埼玉県の新人戦に出た。埼玉のサッカーチームは540チームあり、7試合勝たないと県大会には出られない。ここで、SMI代理店社長から教えてもらったモティベーションの1つである、報酬によるモティベーションを思い出し、「重要な試合ごとに、勝ったら食べ放題のお店に連れて行ってやる」と食によるモティベーションを使った。その効果は抜群だった。本当に素晴らしいほど勝ってくれ、ついに7試合目の決勝戦まで行き、強い相手にも1-0で勝つことが出来た。やはり子供たちにもモティベーションは重要なんだな、とその時、非常に強く感じた。

そして憧れの埼玉県大会。会場は、埼玉スタジアム2002。準決勝まで勝ち上がったが、準決勝の相手が埼玉でNo.1のチームで名前負けだった。緊張感もあったのだろうが、戦うと聞いただけで全然試合にならず、負けてしまい、ベスト4という形で大会を終えた。しかし、子供たちの清々しい笑顔、お父さん、お母さんたちの喜んだお顔を今でも覚えている。

計18年間コーチをやったが、この『前向きな考え方』と『食のモティベーション』でその後も4回、県大会に連れて行った。県大会請負人とまで言われた位、子どもたちを県大会に連れていくことが出来、非常に良い思い出となっている。6年生の卒団で最後の言葉を言ってもらった時は必ずみんなが「Jリーガーになって、日本代表になります。」と熱く語る。やはり目標を掲げさせることは良い事なんだな、SMIのお陰だなという風に思っている。

 

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ケーススタディー アーカイブ:

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ケース 5 株式会社 玄