ケーススタディ

SMIのクライアント層は新規企業から60数カ国でビジネスを展開する大企業のCEOなど広範にわたる産業・企業に及びます。これらのクライアントに共通して言えることは、自己成長の為に情熱を持ち、人生の各分野で高い目標を設定していることです。

ケース7
株式会社 ペッパーフードサービス   代表取締役 一瀬 邦夫様

カンパニープロフィール

PepperfoodS

   一瀬 邦夫様

 社名: 株式会社 ペッパーフードサービス
 創業: 1970年
 事業概要: 飲食店直営店運営、FC展開
 採用プログラム: DPM・PSP・DTM
 採用年: 1992年~
   『自らが成長したいという意志を持って勉強に取り組むと他者と歴然たる差がつく』

SMIプログラムについて

18歳からコックの仕事をし、27歳で独立、今年72歳でコック歴45年になる。40歳を過ぎた頃、上昇志向が湧き、もっと勉強したいと思い、その方法を調べていくうちにSMIを見つけた。スーツケース内の当時のカセットを日課であるジョギング中に何十回も聞き、目から鱗という言葉では表せないほど、気付きが一杯あった。そして、プログラム購入の時にもらった100万ドル成功計画のポスターは、今では変色し、角は丸まっているが、事務所を何度移転しても壁に貼っている。そして、SMIの方に後日紹介をされたのが、現同社の専務で、この出会いこそが会社が飛躍的に成長する切欠となった。

アファーメーション

独立後は、従業員に対して勇気がないので何も言えない状態で、妥協の連続。そして、結局、優秀な人間から先に辞めていき従業員が定着しなかった。いよいよある年、資金繰りが難しくなり、倒産の危機まで追い詰められた。そこまで追い詰められ、ようやくハッと気づき、その危機を回避する為、給料カット、経費節減を断行した。すると、3ヶ月立たない間に会社の状況が良くなった。その理由は自分が経営を真剣にやり始めたからである。とても貴重な体験だった。そこで気づいたのは、人は叱られたり、注意されたりして辞める等という事はなく、逆に叱ってもくれない指導者として疑問が残る人の下では働きたくないのである。指導者は、人を成長させなければいけないということだ。

また、不可能を可能とするというアファーメーションを自分の糧とし、コックの仕事をマニュアル化し、コックなしでも運営が出来るペッパーランチを考えだした。週に何度も肉が食べたいという若い人向けの価格帯を設定。原価は高いが客数を増やし利益を取るモデルが大成功。そのビジネスモデルの先駆者となった。自分でアファーメーションを作り、その通りにやることはとても素敵なことだと思う。

ペッパーランチの成功で、急速に倒産の危機から立ち直っていったが、全ては順調にはいかず、大阪での事件やBSE問題、O-157の問題等で、信用がなくなり、売上がどんどんと下がり、またも倒産の危機を迎えた。だがそこでも、自分でアファーメーションを作成し、その通りに行動にうつし、立ち直っていった。 カット肉を仕入れるのではなく、各店舗でカットすることにより費用を削減するレストランをはじめ、人通りが多い場所に出店し、その存在により、社員のモティベーションアップ、大勢の道行く人の信用を得るという施策等、前向きな活きるお金を使うようにした。それ以外にも、上昇の切欠となったことがいくつもある。ハウステンボスへの出店は、制限がある中で、名前の魅力と集客力で「ペッパーランチダイナー」を採用してもらった。また、「いきなりステーキ」は原価率の高いステーキにごはんやアルコール類を追加することにより原価率を下げ、1時間当たり約3,000円使ってもらう机上の計算をすると、全くその通りになった。

このような経験をし、勇気というのがとても大事だと感じた。そして、本能を刺激するビジネス、何かと何かを組み合わせて全く新しいものをやることを考え、その方法でどこに店を出すと決め、実際に出店し、成功する、という自分が思っていることがその通り出来ることが自信に繋がっている。また、人を裏切らず嘘をつかず、社員を大事にすれば、想いが違う方向の結果に出るはずがないと考えている。

目標設定

昨年は、人も、物件も、お金もない状況の中、年内に30店舗増やすことを目標と決意した。多くの人に反対されたが、社員全員がビジネスを信じ、それを達成。そして、今年は53店舗やると宣言した。店を出すことによって、新しい役割、出世のチャンスが増え、新しい社員も入る。人と組織が成長する。一人ひとりにエンジンが付いているので、既存の店舗から選抜して新しい店舗に人を送り込むことが出来る。それにより困難だと思ったことを、スムーズに行うことが出来た。私のアファーメーションでもあるが、人は成長するように出来ている。更に、自らが成長したいという意志を持って勉強に取り組むと他者と歴然たる差がつくのである。そして、困難から逃げないでいるとあるとき困難が当たり前になる、ということに気付いた。また、やらなければ何も分からないということが会社のなかでよく言われるキーワードとなっている。

そのようなアファーメーションが、外食産業で一番活躍した企業に贈られる「外食アワード2014」の受賞や、26ヶ月連続昨対クリアという結果に繋がっており、それがさらに自信に繋がっている。海外進出は、オーストラリアでは8店舗出店しており、ニューヨーク、LAやバンクーバーにも出店を考えている。これからも海外進出を進め、日本の食生活の向上とこんな会社もあるということを世界に発信していきたいと思う。

だが、店数は関係ない。従業員にとって日本一働きたい外食産業になることを掲げており、それがある限りは横道にそれないと思っている。


ページの先頭へ

 

ケース6
ファイナンシャルアライアンス株式会社  代表取締役 松村 光範様

カンパニープロフィール

DPT Matsumura

   松村 光範様

 社名: ファイナンシャルアライアンス株式会社
 創業: 2005年2月
 事業概要: 保険代理店
 担当代理店: ダイナミックスパースンズ東京
 採用プログラム: DPM・DTM
 採用年: 1995年~
   『「Noが怖い」を乗り越え、モティベーションが上がり、クロージングも強くなった。』

SMIに出会うまで

大学卒業後、大手印刷会社で14年間の営業マンを経て、保険会社へ転職。そこで新人賞を取り、2年目も社長杯入賞をしたが、3年目に入り、ベースマーケットが終わったところで勢いがなくなった。紹介してもらい、見込み客を発見するのだが、それが契約に至らなかったのだ。フルコミッションなので、収入も徐々に減っていった。

SMI・代理店との出会い、導入による効果

困っていた時に、同じ営業所の人に、売上が落ちてきている悩みを聞いてもらった。すると、モティベーションを上げる、成功するものを売っている兄に会ってみないか、と言うので、とにかく会ってみようと思った。後日、兄であるSMI代理店の社長が会社に来られ、私はSMIの話を聞いて30分後に購入を決意していた。三好社長によるSMIの説得力のある説明、それとモティベーションという言葉に感動したのを今でも覚えている。

その後、社長と話をし「松村さんは良い人なんですね、何がダメかよく分かったよ。クロージングが弱いんですよ」とはっきり言われた。確かに、説明が終わり、「入りますか?入りませんか?」の話の時に、「主人に相談してから返事をします」等を言われると、「そうですよね、ご主人とゆっくり相談し、考えてください」と応えており、YESとNoの間の、「考えておいてください」と伝えている方が山ほどいた。何故かと思ったが、社長には、「Noと言われるのが怖いんですよ、松村さんは。そこを鍛えなきゃだめです」と言われたのだ。これをきっかけに、モティベーションが上がり、弱かったクロージングを鍛え、強くし、売上も徐々に上げることが出来た。私にとってSMIというのは同SMI代理店の社長なのかなと常々思っている。

保険会社に入って3年目、モティベーションも上がり、また一生懸命売ろうと思っていたところ、ライフプランナーではなく営業所長として、保険を売る仕事ではなく、朝から晩まで受話器を持ち、リクルート(採用)をすることになった。6ヵ月後、採用はゼロで、まずいと思い、SMIのCDを聴き直した。やはり目標を立てなければだめだ、ということで明確な目標を立て、1年後には他の3人の営業所長の方達より多い12名のリクルートに成功した。

新しい会社の設立、今後の目標

営業所長を5年間、支店長2年間を経て2005年ファイナンシャルアライアンス株式会社を設立し、10年で約650名が入社、乗り合い代理店の中では売上5番手である。保険代理店経営というのは、人が全てであり、良い人間を採用できれば会社は発展しする。会社は体制整備、管理整備をきちんとやれば生き残る事が可能なので、お客様から信頼され支持される代理店を目指して行きたいと考えている。

社会生活面の成果

6年間お父さんコーチ、子どもの卒業後12年間専任コーチとして少年サッカークラブお手伝いさせて戴いた。

正式コーチになってまず4年生を見ることになったのだが、見に行ったら蹴れない、走れないという子たちだった。どうやって鍛えていこうかと悩んだ時に、SMIのモティベーションの話を思い出した。モティベーションという言葉を使っても子供なので理解出来ないかな?という部分もあり、常に前向きに考え、自分が苦手なことを目標として練習しろという指導方法で1年間やった。そのチームが5年生になり、埼玉県の新人戦に出た。埼玉のサッカーチームは540チームあり、7試合勝たないと県大会には出られない。ここで、SMI代理店社長から教えてもらったモティベーションの1つである、報酬によるモティベーションを思い出し、「重要な試合ごとに、勝ったら食べ放題のお店に連れて行ってやる」と食によるモティベーションを使った。その効果は抜群だった。本当に素晴らしいほど勝ってくれ、ついに7試合目の決勝戦まで行き、強い相手にも1-0で勝つことが出来た。やはり子供たちにもモティベーションは重要なんだな、とその時、非常に強く感じた。

そして憧れの埼玉県大会。会場は、埼玉スタジアム2002。準決勝まで勝ち上がったが、準決勝の相手が埼玉でNo.1のチームで名前負けだった。緊張感もあったのだろうが、戦うと聞いただけで全然試合にならず、負けてしまい、ベスト4という形で大会を終えた。しかし、子供たちの清々しい笑顔、お父さん、お母さんたちの喜んだお顔を今でも覚えている。

計18年間コーチをやったが、この『前向きな考え方』と『食のモティベーション』でその後も4回、県大会に連れて行った。県大会請負人とまで言われた位、子どもたちを県大会に連れていくことが出来、非常に良い思い出となっている。6年生の卒団で最後の言葉を言ってもらった時は必ずみんなが「Jリーガーになって、日本代表になります。」と熱く語る。やはり目標を掲げさせることは良い事なんだな、SMIのお陰だなという風に思っている。

 

ページの先頭へ

 

ケース5
株式会社 玄      代表取締役 井出 隆夫様

カンパニープロフィール

NewTyoSM Ide

   井出 隆夫様

 社名: 株式会社 玄
 創業: 1907年
 事業概要: 理美容学校経営、理美容院59店舗経営、フランチャイズ235店舗経営
 担当代理店: 新東京サクセスマネジメント
 採用プログラム: DPM・DYF・DSM
 採用年: 1994年~
   『自分の力で店を大きくしたと考えてきたが、本当はスタッフやお客様に支えられていた』

背景

湘南平塚で生まれ、高校卒業後、祖父の代から続く理容室の3代目として、父、母と私の3人で約8坪の理容室3台の小さなお店を営業していた。 当初、目標もなく生活していたところ、ある組合の先生からコンクール出場を勧められ、初めて神奈川県大会に出場すると、成績は47名中、46位という下から2番目で、大きなショックを受けた。それまで、店が古くオシャレではないから、駐車場がないから等が繁盛しない原因だと思っていたが、コンクールの結果で、私の技術力が無い事が原因だということを思い知らされた。それからは技術のレベルアップの為に練習をし、色々なところで指導をしてもらい、徐々に順位を上げ、29歳の時に日本一になり、その後アジア大会、世界大会で優勝することが出来た。

技術に自信が付き、『技術のチャンピオン』から今度は『経営のチャンピオン』を目指そうとスタッフの育成を始めた。順調にお店も大きくなり4店舗に増え、湘南平塚では地域1番のお店になることが出来た。その時私は35歳で、若手のやり手の経営者気どりをしていたのではないかと思っている。

多額の借金、回りの支え

そんなある日、父が私の知らないうちに保証人となっていた、兄の経営するレーザー光線の会社が倒産し、3億円を全て払う事になった。経営者として順調で、私が3億円を借りたわけでもないのに、なぜこんなことになるのだと、父と兄を恨み、目の前が真っ暗になった。チャンピオンという立場や、オーナーを務める4店舗とその地位を失いたくないという思いで毎月利息を80万円ずつ払っていたが、長くは続かず、約1年後、自分の持っている店、物、家、全てを奪われ、破産した。

そこから、私は1から一人でやっていこうと覚悟をしていたが、当時の20名程のスタッフが全員ついてきてくれ、先輩である私のお客様が4店舗全て買収してくれ、結果、同じ4店舗を同じスタッフで継続することが出来た。それまで自分の力で店を大きくしてきたと考えていたが、本当は、スタッフやお客様に支えられていたのだとその時つくづく感じた。家族の支えも大きく、「また0からやればいい」と私の妻が押してくれたことが力になった。トラブルは起きたが、お客様、スタッフ、そして家族と一致団結が出来た。

そして、自分自身については、地位やお金等を失うことが平気という覚悟が生まれた時、強い勇気が湧いた。何故かというと、理容の仕事ははさみとくしがあれば出来るからである。私の腕についた技術は誰にも取られない。こんなにいい仕事は無いと、理容の仕事が大好きになった。そしてお客様に来て戴くことが最高なことなのだと、正に原点に戻ることが出来た。

SMIとの出会い 導入による変化 時代の流れと共に変化していく経営

そんな時にさらなる支えとなってくれたのがSMI担当代理店社長との出会いだ。当時はプログラムを買うお金がなかったが、SMIの『人生成功の鍵は目標設定にある』という小さなカセットを1つもらい、そのカセットを100回も200回も聞き、大変勇気づけられた。

全ての物と地位が無くなっても、スタッフとお客様が付いてきてくれる。それにより自信が付き、自信がつくことで自分が変わる事が出来た。今までの目標は『コンクールでチャンピオンになる』という、自分の為の目標だったが、これからは、自分の為ではなく、スタッフとお客様にもっと喜んでもらえることが本当の私の仕事、そして目標なのだと気が付いた。

まず、スタッフにもっと喜んでもらえる目標として人材教育を考え、学べる環境を作る事にした。


・新人を入れても大半は辞めてしまい、その理由の多くは、昼間は営業で、夜遅くなってから練習するのが美容業界の一般的な常識だったので、「プライベートな時間が無い」、「夜練習すると身体が疲れる」ということだった。では、夜から営業中の練習に変えようと、職業訓練校を作った。同校は2013年には神奈川県知事賞も戴けるほどになり、2015年で15年を迎え、成功している。


・また、女性の頭を学びたいという理由で辞めたスタッフがいたので今度は、訓練校の中に美容科を作った。今では、エステティック科、ネイル科、まつ毛エクステンション科と、広い分野を学べる環境になっている。店舗も理容室だけではなく、美容室、エステサロン、ネイルサロン、まつげエクステンションサロンと、理容を深堀していったら表面が広くなり、沢山の業種とスタッフが生まれることに繋がった。自分のやりたい事、スタッフがやりたい事、スタッフが好きな事で技術が上達してくると、仕事が楽しくなり、職場が明るくなった。


・結婚した女性スタッフのために、平日朝9時から夕方5時まで、日曜祝日休みのお店も作った。そのような環境を希望するスタッフは業界に沢山おり、今ではそのお店も8店舗まで増えている。


・理容師として働く為には専門学校を卒業し、国家試験の合格が必要で、お金が掛かるのだが、どんな子でも入学出来る学校を作りたいという想いがあったので、日本で初めて学校法人ではなく賃貸で行う、日本一の小さな学校、湘南ビューティーカレッジを平塚に開校した。そこでは、平日の昼間は学校で学び、夕方、土日はサロンで働くという、働きながら学ぶ、デュアルシステムを取り入れている。この仕組みで毎年10名以上の新人を迎えることが出来ている。 私たちは、小さい時から学校の成績で評価をされるからか、他人の評価で動く様になることがある。だが、その新人たちには私たちの教育で、自分の力、自分の限界、自分の知識という一番の宝を引きだしてもらいたい。自分を信じ、夢を持てる人間を育成し、最終的には自立を目指してもらう。


・独立をすることが夢というスタッフが沢山いるので、その子たちにできる限りお金の掛からないよう、私の店のフランチャイズで自分のお店を持てるようにした。独立した50名以上のスタッフに、「大切なことは売上ではなく、あなたの将来である」と、綺麗事ではなく親として言いきれる経営者となることが私の夢である。

お客様にもっと喜んでもらう為の私たちの目標は、『生涯顧客』、生まれてから亡くなるまでお役にたつことである。私は、『出来ない理由は言わない』『考えない相手の予測を上回る結果を出す』『頼まれごとは試されごと』の3つを心がけとして掲げており、お客様からの意見や言葉がきっかけで始めた事が多くある。


・昔の常連のお客さんと話す中で、人生の中には1万円使える時もあるが、千円しか使えない時もあるのだと感じ、3つのプライスに分け業態を進めた。
・土日は休みたい、自分の趣味にあてたい、というサラリーマンのために、深夜までやっている店をオープンした。


・ある年配のお客様が、送迎をしてくれるお嫁さんに気を遣ってまで来店してくれているということを知り、無料送迎カーを始めた。お電話を戴ければ家まで迎えに行き、店でカット、カラ―、パーマ等をし、また家までお送りする。そのサービスは、リピート率100%であり、現在は、送迎の車を1台増やし2台の車で平塚中を回っている。


・外出が出来なくなっている方の為に在宅の出張カットを始めた。ちょうど私の母を預けることになり色々な施設を見て回っていたとき、男性か女性か分からない様な女性の頭に気づき、介護する側としては楽かもしれないが、自分の母は同じようにされたくないと感じ、訪問福祉出張サービスをスタートさせた。それが評判になり、神奈川県を中心に、50カ所以上の施設を訪問するようになった。

そのようにお客様の声を聞きながら理容という穴を一生懸命掘って行ったら必然的に色々な仕事が生まれて行った。

地域社会に役に立つ為の目標も出来た。私のお客様に平塚擁護学校の先生がおり、生徒たちは卒業してもなかなか働く場所が無い、という話をされ、私は一瞬悩んだが、受け入れることにした。掃除やタオル洗い等を指導するのに1年位掛かったが、その子は今年で勤続20年。その子の後輩がその後2人入り、今では3名働いてもらっている。その子たちは無遅刻、無欠勤で、回りの健常者のスタッフと一緒に働き、素晴らしい影響が出ている。

今後の目標

私の理容師人生40周年の境に、店舗数やスタッフ数が多いことではなく、家族やスタッフが仲良く幸せに暮らし、会社が永遠に成長、存続し続けることを思って、技術より考え方の教育を密にしていこうという内容の「ライオンの思考」という本を作った。基本的には凡事を徹底し、継続すること。すると最後は凡事一流になるということをSMIを通じこの20年間学んだ。それを続けることによって『ビジョン300』、300年続くお店を作る。今年、私で3代目、創業108年であり、事業継承がこれからの私の仕事で、息子の慎太郎に4代目のたすきを上手く引き渡すことを念じている。その為に私に必要なことは謙虚さである。人間は成功したり、上り調子であったりすると、必ずおごり、傲慢、うぬぼれが生じる。原点に戻り、お客様の声、スタッフの声を素直に聞く事によって、良いお店、そして幸せな会社が作れるのだと思う。私が何も分からないで店舗数を増やしていたら今の私は無かったと思う。私に歩む目標を教えてくれた父に、感謝の気持ちでいっぱいである。父は10年前に亡くなり、母も2015年に亡くなった。母は晩年認知症になり私の顔を見ると「大丈夫か?大丈夫か?」と言い、「大丈夫だよ、家も店も買い戻したよ」と私が答えても分からなったかもしれないが、「そうか、大丈夫か」と言う母の笑顔が最高の笑顔だった。

SMIを学んで

私はSMI担当の社長から、SMIを学ぶことで考え方が変われば、行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる、ということを伝えられ、体験した。 その結果、直営店は59店舗、2014年初めて年商10億を突破、そしてフランチャイズは241店舗年商51億円をあげる事が出来た。本当に担当のSMI代理店社長とSMIには感謝している。

厚生労働省主催 キャリア支援企業 2015受賞記事

 

ページの先頭へ

 

ケーススタディー アーカイブ:

ケース 1 株式会社 三宝

ケース 2 有限会社 ケーキハウス・アン

ケース 3 株式会社 クーロンヌジャポン

ケース 4 株式会社 前田家