SMIのクライアント層は新規企業から60数カ国でビジネスを展開する大企業のCEOなど広範にわたる産業・企業に及びます。これらのクライアントに共通して言えることは、自己成長の為に情熱を持ち、人生の各分野で高い目標を設定していることです。
プロフィール
田中 真喜様
学校: | 医療法人社団 誠敬会 | |
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概要: | 内科と歯科を併設した診療所 | |
担当代理店: | グッドマン東京 | |
採用プログラム: | COP・EMD | |
採用年: | 2014年~ |
SMIワールド・クライアント・オブ・ザ・イヤー受賞
2017年4月11日、また私の人生の中で大きなターニングポイントを迎えました。日本から遠く離れたロサンゼルスの地で、あるプレゼンテーションを行いました。SMIワールド・クライアント・オブ・ザ・イヤーを戴いたときです。このスピーチの最初のオープニングで、踊りなんて全くやったことなかったんですが、分からないだろうと思って舞台の中央で振袖でパフォーマンスをして、スピーチの最後にもうちょっと私の踊りを見たいなら日本に来てくださいと話をしました。
私の夢のひとつに、振袖で英語で講演する、というのが昔ありました。それが実現できた。そして今までの人生の中で、誰よりも早くやるというのは歯科医師になってからやってきましたが、誰かから評価され一番を獲るという経験はありませんでした。誰かの前に立って何かを表現するというのは私の小さい頃には皆無で、考えもできませんでした。それが色々な人に出会い、色々な考えに触れることによって、実現できるようになりました。
目指すもの
私が代表を務める誠敬会クリニックは横浜に11年前に私の師匠である吉野敏明先生が設立されています。そして先日銀座に2店舗目の誠敬会クリニックをオープンしました。そんなわけで結構忙しい毎日を送っていますが、クライアント大会でスピーチされている方のお話を聞いて、ものすごく元気になりました。今日より明日のほうが絶対元気になってスタッフから変態扱いされるんですが、そんな私についてきてください、よろしくお願いします、と常々話をしています。うちのクリニックは「お疲れ様でした」禁止です。そう言われるとなんか疲れたなって言う気になってしまいますので、帰る時、終礼をするときにも、さようなら、もしくはお先に失礼しますと言っています。まだまだやれる、まだまだ元気と言う風にやっています。
当クリニックは当初は歯科医院だけのクリニックでした。ですが口の中はもちろん全身とつながっていて、口の中の病気が様々な全身疾患に悪影響を及ぼしているということは既に科学的に証明されていることです。ですので一人の患者さんの全身の健康を我々には守る義務がある。医療従事者としてそれを使命に掲げようということで内科を併設し、一人の患者さんを歯科医師だけではなく医師、看護師、歯科衛生士、歯科技工士などの専門職そして専門職ではないですけれども医療に携わるスタッフが全力でサポートする体制を整えています。一般的にやられている西洋医学だけではなく、鍼や漢方などの東洋医学などその患者さんに最適の医療を提供しようと日々努力を重ねています。
皆さんは病気になったら病院に行き、そこから治療が始まります。ただひとつ忘れてはいけないのは、病気になる前には必ず健康な状態があることです。そしてこの病気と健康の間に症状が出ていない自分で気が付いていない未病という状態があり、その状態で、発症前診断、発症前治療ができれば病気を知ることなく、生涯を過ごすことができます。健康寿命を延ばすカギは病気を予測し未然に治療すること、つまり、我々誠敬会クリニックは未病治療を掲げてチームを組んで医療を実践しています。我々はチームで患者さんの一生の健康を守ってもらうために日々再生医療法や再建の外科というのを行っています。重症の歯周病でこのままだとこの数年後に総入れ歯になってしまうような患者さんがいました。それを再建します。もちろんインプラントという人工臓器もつかっていますが、一生自分の歯で噛める口の中の環境を作っていくこと、それが健康寿命を広げる、延ばすポイントのひとつとなるのではないかなと言う風に思います。
このような業績が認められて、国際的学会でのファイナリストとしての講演や、会長や教授が並ぶ中、勤務医の私が話をさせて戴くという非常に名誉な機会、そして世界の600万人の歯科医師の中の、歯周形成外科を志す者のトップ50だけが入れる学会で講演をさせて戴く機会を得ました。歯科医師会のレジェンドのような先生に私のやっている仕事にいろんな称賛の声を戴くというのは、この職業を選んでよかった、この仕事を全うしたいなと思うきっかけになりました。医療たるものやはり科学的に検証されなければいけないと言う風に思いますので、自分の臨床をデータベース化して科学性を持たせる、そしてそれを学会で発表していろんな人と共有するという活動を行っています。またその我々が持っている医学的な知識を我々の物だけにするのではなく、一般の方にも広く知って戴きたいなという風に思います。雑誌や、インターネットのサイト、日経新聞に載りました。あとは音波歯ブラシの商品開発と芸能人のプロデュースをするいろんな戦略を立てています。
歯科医師として治療、研究、そしてこの治療や研究で仕入れた自分の技術や知識を自分の物だけにするのではなく、広く後輩の歯科医師に伝えることによってその歯科医師が知識技術をつけて患者さんに還元できるようになれば幸せになる患者さんがものすごく増えます。なので歯科医師としてこの三本の柱を作って私は日々生活しています。今は胸を張って歯科医師が私の天職です、と言えます。あなたの方が私よりも長生きするから私の口の中はあなたに任せたわよと言う風に言って戴けること、それは何にも代えがたい喜びだなと思います。
背景
私は父、叔父、祖父が歯科医師で、木の入れ歯のアンティークが転がっているような家で育ちました。ですが、人前に出るのがものすごく嫌いで、人見知り、人とコミュニケーションをとるのがすごく苦手な子どもでした。人との接し方がよく分からないというのもあるんですが、私の中に考えがなかったわけではなく、勝手にその人のことを人間観察をして勝手に脳の中で妄想をするというのが得意な人間でした。なので頭の中では色々な世界が繰り広げられているような子どもでした。
そんな私に転機が訪れました。2004年の時です。歯科医師になって2年目のときでした。雷で全身を打たれるような出来事だったのを今でも鮮明に覚えています。師匠である吉野敏明先生に出会ったことです。我が家は代々歯医者だったので歯科治療ってだいたいこんなもんだろうなって言う風に勝手に自分でその像を決めつけていて、私の人生こんなもんだろうなって思っていたんですが、この人に出会ったときになんだそれ、という世界、見たことも聴いたこともない夢のような世界がプレゼンテーションの中で繰り広げられていました。こうやって歯科治療するとこうやって人が治っていくんだ、ということが分かりました。当時は大学病院に勤めておりましたので、週一回吉野先生の治療を見学させていただくと、来る患者さんみんな吉野先生のことが大好きなんです。痛い、つらい思いをしているにもかかわらず、出会ってよかったって話をしてくる。すばらしいな、こうゆう歯科医師になりたいと思いました。私が人生で初めて自分から外の世界に出てみようと思ったのがこの時でした。
外の世界にでると、見るもの聴くもの全部が新しく全部が楽しく感じます。臨床、研究やアメリカでの研修。とにかく楽しいと思う時期が訪れました。吉野先生のところに勤めていた時、最初は週二回のアルバイトでした。それが週3回、4回と増え、いつの間にか週7回病院にいるという日が続くようになりました。そうすると人間て慣れてきます。そして出来る範囲が広がるとあれもこれもやりたいと欲が出てきます。来るもの拒まず、去る者もつかみ取るような生活をしていたので、本当に余裕がありませんでした。そうすると人間はどうなるか。今まで楽しい、嬉しい、出来たと言う風に思っていたことを、感じ取れなくなってしまったんです。日々の日常に追われて、これもやらなきゃ、あれもやらなきゃいけない、どうして私だけ忙しいんだろう、なんでみんなわかってくれないんだ、もう限界だよって思っていました。この当時正直身体も壊していました。健全な精神は健全な体から宿ってくるものと言いますが、体が壊れればやはり精神もおかしくなってくるんだと思います。あの時の私がそのまま続いていたらおそらく私は今歯科医師をしていなかったと思います。
SMIとの出会い、気づき
そんな中、SMI担当代理店と出会いました。吉野先生が誠敬会にカンパニープログラムを導入した2014年です。これがなければ今の私はありません。毎週水曜の朝8:30からみんなで企業について、ディスカッションをしていました。私がずっと感じていたことと全然違う発想や、全然違う角度から物が返ってくるんですね。ものすごく新鮮でした。私ばっかり考え、動いているではなくて、他の人に私が耳を傾けたり、目を向けたりしようとしていなかっただけということに気が付くことができました。
もう1つ大きく気が付いたのは、私にはプランがない、目標を定めていない、来るものをとりあえずこなすだけのことをしていたということです。そうしていると余裕がなくなるのです。目標をたて、その中で優先順位を決め、それに向かう。そうすると何が大事なのか、受けないことや自分じゃない人に担当してもらうこと、断る勇気というのも学ぶことができました。
カンパニーが始まる前は、私がやったほうが早い、私がやったほうがいい結果になる、そもそもこうあるべきだ、っていうことをずっと考えてきました。ディスカッションをしていると間違っていたのは私だったことに気づきました。周りのスタッフたちは非常に多くのことを考え、この企業を良くしようととてもたくさんのアイディアを出してくれました。我々が取り組むべきことは手に手を取り合って、チームで挑むことなんだ、チームで企業を良くしていくことなんだ、チームで患者さんの幸せを勝ち取るんだということに気が付くことができました。
そして、2015年に「はい、理事長交代の時間です」って朝の9時3分に言われました。は?と言う風に思いました。かねてから吉野先生は将来的に私に事業承継はしてほしいということは言っていました。そして、組織はみんなで作り上げていくもの、そしてそこのトップはその組織のビジョンを示すものと言う風にずっと私に教えてくれました。なので「はい、時期が10年繰り上がりました。今日から理事長ね」って言われました。で、3秒後にはい、と言えたのはSMIに出会って準備が出来ていたからこそだと思います。
事業継承
企業承継をすると業績、人材、新規事業開拓をどうしていくかという3つの問題が生まれます。お金の問題、今まで経営なんて面倒くさいと言っていましたが数字とのにらめっこが始まります。ビギナーズラックではあるんですけど、なんとか前年比の111%初年度超えることができました。今年も業績を伸ばすことが出来ています。
次、人材です。2006年に吉野歯科診療所、現誠敬会クリニックを開院した時から10年、スタッフがたくさん増えました。そしてさらに2006年当初の創業当初のメンバーが6人も残っています。代替わりをしても私のことを信用し信頼し残ってくれる、企業をもりたてようとしてくれる同志がいるというのは誠敬会クリニックにとって大きな財産と思います。
次に新規事業開拓ですが、2017年の6月に銀座にもう一つ新しいクリニックをオープンしました。やはり我々のコンセプトを広く世の中に伝えたいなということでこの銀座の地を選んでいます。
経営者として
歯科医師というのが天職と思っていますが、歯科医師という職業を通して、経営者という立場にもなり、経営者は歯科医療とすごく似ているなと思いました。歯科医療は悪いところ、原因を見つけて、その原因を排除していく、そして元の状態に戻す、もしくは悪くなりそうなところの種をつんでいくということをしています。それを経営にも落とし込めると思い、歯科医師向けの経営セミナーというのをやっています。
また、私はデザインするのがすごく好きなので、プレゼンテーションも自分で作っていますが、デザインの会社、他にも我々が仕入れた知識や技術を同業者に広く伝えて歯科医療界の底辺の底上げをするための研修の会社、我々の行っている医療を一般の方に広く伝えるための一般社団法人、我々たくさんの個人情報を取り扱っていますので、患者さんからお預かりした個人情報を安全に確実に取り扱うための会社を作りました。山梨県の内科外科整形外科歯科等いろんな科がある一般総合病院は、源泉かけ流し加温なしの温泉が出る病院で隣に宿泊施設があります。なので、温泉につかりながら、日ごろの疲れを癒し、そして健康を取り戻すためにメディカルチェックを行う人間ドックを受けるという施設を運営しています。
多忙な生活でまた体を壊すんじゃないかとスタッフは心配してくれますが、私は二度と同じ過ちは犯しません。なぜなら私には明確な目標があるからです。また、忙しい生活を送っているんですけど、プライベートな時間を必ず作っています。世界のビールを飲みに行く。青空の下、キンキンに冷えたビールを飲むって幸せじゃないですか。そうやって日常から違うところに出たことによってまた新たに仕事にフィードバック出来ること、というのが出て来るのではないかと思いますので、プライベートの時間を今は積極的に作ることができますし、これはSMIが教えてくれた時間創造、権限委譲が出来たからこそではないかと思います。
財産と目標
いろんな人に出会って歯科医師が天職だと思えるようになりました。経営者としてもまだまだ生まれたてですけどこれから色んなことをやっていこうと目標を立てています。小学校1年生の私では想像しえない潜在能力というのが私にもあったんだということに気が付くことができました。人間、誰でも唯一無二になれる存在だと思います。そのすべを知っているか知らないか、そしてそのすべを引き出してくれる人に出会うかというのもとても大事なことになると思います。私は吉野敏明先生という師匠に出会えたこと、吉野先生を通じてSMIに出会えたこと、というのは私の人生の中でかけがえのない財産だなという風に思います。ただ、人生もらってばっかりだったらそれはいけないな、もらったものは必ず返さなきゃいけないなと思っています。
私の目標、そして3年後までに実現することは、まだ働くということがよくわからない小学生以下の子どもたちに仕事をすること、働くこと、人から必要とされること、人から感謝されること、それが人生をどんなに豊かにして、どんなにかけがえのないものが得られるのか、というのを教育の現場で示せればなと思います。それが目下の目標です。ただ誠敬会を支えていかなければならないので、日々誠敬会のために働いているスタッフ、スタッフの家族、通ってくれる患者さん、患者さんの家族の笑顔が少しでも多く増えるように日々精進していきたいと思います。
プロフィール
阿部 直人様
学校: | 法政大学第二高等学校 | |
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概要: | 教諭・ハンドボール部監督 | |
担当代理店: | リバティー福岡 | |
採用プログラム: | PSP・DPM・MOC | |
採用年: | 2004年~ |
背景
ハンドボールは日本ではマイナーな競技ですが、実は世界的には競技人口は常に5位以内に入る競技で、特にヨーロッパではプロリーグもあり盛んな競技です。サッカーではチャンピオンズリーグがよく放映されますが、ハンドボールにもチャンピオンズリーグというのがあって、最後の決勝戦ではドイツの体育館で二万人の観客が集まり、文化として位置づいている競技です。30年間関わってきたハンドボールを通して学んだこと、SMIを通して学んだことがあります。
僕は中学1年からハンドボールを始め、高校大学と続け、日本リーグでも1年間プレーをしました。そして法政二高に来て今年で21年目になります。監督をやってお金をもらっているわけではなく、体育教師として、また高校3年のクラスの担任もしています。20年間の主な実績としては、全国大会は2回優勝、2005年から1年前まで日本代表のアンダーカテゴリーのスタッフをさせていただいて、アジア選手権に4回出場しました。UAE、ヨルダンや韓国、ヨーロッパにも何回か行き、ハンドボールで何度も海外に行かせてもらっていて、ありがたいことです。あとは本や指導用DVDも出しています。
目指すチーム作り
スポーツなので勝ち負けはあり、やるからには勝つことを前提に、そして勝たなければならないと思っていますが、勝つだけではなくて、活き活きした姿や全力の姿勢、チームや仲間のために頑張る、信じるとか、最後まで諦めないとか、そういったものをハンドボールの試合を通じて見ている人に伝えて、ハンドボールを知らない第三者の人が見ても自分も明日から頑張ろう、新しいことにチャレンジしようという気持ちになってもらえるチームになろうといつも言っています。その結果、達成感、充実感や感動を自分たちや周りの人と共有できるようなチームにしたいと思っています。そして、人財になろうって伝えています。材料の材の人材は、材料の材だから替えがきく、そんな人間は嫌だ。同じような人を連れてくれば済むって言われるような人間にはならないようにしようと。高校、大学、社会人になっても、集団の財産となるような、お前とは最後まで一緒に働いていきたいとか、おまえのおかげで自分があるんだ、って言ってくれるようなそんな人間になろうと常々言っています。
練習、大会はもちろん、日常生活もしっかりやろうと伝えています。日本の世の中、自分のチームだけ強くなればいい、勝てばいい、スポーツをやっていれば勉強しなくていいというようなチームも実はまだまだあります。しかし、やはり最終的にハンドボールで日本一になっても、日本代表になっても、それだけで生計を立てていくのは難しい競技です。もちろん高校の時に日本一になることは大切ですが、特に保護者の共通した願いは、ただ自分の子どもに充実した人生を送って欲しい、幸せになってほしいということです。スポーツだけをやっていても将来いざ本当に勉強しないとならないときにその習慣がなかったら自分が充実した人生を送れないので、勉強をしながらハンドボール日本一を目指そう、勉強をすることが大切ということを伝えています。勉強をせずスポーツだけをやっていればいいっていう指導者がいるのであれば、その指導者はその子たち、その家族、人生をリスペクトしていないのかなと思います。PSPプログラムにもありますが、ハンドボールも勉強もがんばって、人間的に成長し続けるしかない。目標を達成したらすぐ次の目標が出てきますし、その目標を達成するためにはそれに値する人間にならなければならないわけです。ひたすら常に成長し続ける、そのために努力することが大切と思っています。
SMIとの出会い
ただ、最初からこんな風な考えになれていたわけではなく、SMIに出会ったことが非常に大きいです。以前はひたすら厳しい指導方法で日本一を目指して、最高成績は全国大会3位でした。日々の結果に一喜一憂して、試合に勝ったら嬉しい、その日良いプレーしたら気分もよく家に帰ります。逆にだめだったらだめ、これで勝てるのかなと考え、そんな毎日でした。生徒も苦しかったと思いますし、ぼくも苦しかったです。心配事ばかりでネガティブ思考、不安な日々になります。そうすると、また厳しい練習を課してしまうんです。その当時も担任のクラスを持っていたので、後から聞いた話では、日曜に大会があって負けると、月曜の朝は機嫌が悪いと。クラスの子たちはハンドボールに関係ないのにもかかわらず、ハンドボールによって先生が機嫌良かったり悪かったりしたので、今思えば本当に申し訳ないことをしたなと思っています。ハンドボール部がクラスにいる場合は、明日は絶対負けるなって週末送り出していたらしいです。
2004年4月に宮崎県のライバル校と一緒に合宿をやったときにそこの先生からSMIの担当者を紹介してもらいました。自分が変わり、成長しなければ日本一はないと思い8月にPSPを採用して、一所懸命勉強しました。すぐではないですが少しずつ、ことば、行動が変わり始めました。ただ、6分野をまんべんなくやろうとは思わず、ひたすらハンドボールで日本一になるための目標設定の連続でした。少しずつネガティブ思考からポジティブ思考になりました。あとは世の中のほとんどの人が勝手に諦めるので、諦めなければ必ず成功するという思考が磨かれました。試合の前には「成功の心構え」「勝利者の心構え」「勝つためのタフな心構え」「信念の魔力」等をひたすら聴きまくって、ある意味偏った使い方をしていたのかとも思いますが、とにかく前進し続けている限りは成功者だと思い、試合に負けるぐらいいいやという気持ちにもなれ、そんなことを2年間繰り返していたら、10月の国体で、全国大会優勝しました。全国で1,100チームぐらいある中での優勝です。一回優勝すると少しゆとりが出て、ハンドボール以外の他の分野のことも良い部分が出てきて、家庭で子どもの為に朝ご飯を作ったり、洗濯をするようになったりしました。
SMIを始める前は本当に偏った考えで、学校内のスポーツに理解がない先生は敵みたいに接したり、健康面では国体前は今より8キロ太って肥満だったりしました。優勝してからいろんな分野のことも学びながら取り入れ、そんなタイミングで日本代表のスタッフに選んでもらい、また、DVDや本の出版など、充実した日々が続きました。
モティベーションの切り替え
2013年から2015年まで、そのように充実はしていたのですが、全国大会での1位は逃していました。メダルは獲っていましたが、あと一歩が続き、優勝したときのようなエネルギーが出てきませんでした。なぜかは分かりませんでした。生徒は毎年変わるので、常に全国大会に出場するいいチームを維持するのは大変なことですが、あと一歩エネルギーが出ない、と思っている時にSMI担当者が訪ねて来てくれ、「先生大丈夫ですか、先生前みたいにエネルギーないでしょ」と言われたのです。そして「先生みたいな人はモティベーションを切り替えるしかない。得るモティベーションから、与える方へ変えるのが必要なんだ」と言われたのを今でも鮮明に覚えています。
図に書いて、順番に色々伝えてくれて、「先生はここまで満たされている。いい指導者、素晴らしい監督として認めてもらいたいというのはあまりないでしょ」と言われ、その通りでした。「先生は満たされているからもう一つエネルギーが出ない。モティベーションの切り替えが必要なんだ」ということでDPMを勧められてすぐ採用し、勉強し直しました。その自我欲求、自己完成の欲求に到達できる人はわずかしかいないということだが、絶対なれると言われて、すぐ決定しちゃったのも覚えています。結果的には僕にはものすごいいいことになっています。
DPM採用後の変化
それまでは自分が良い監督、良い指導者と言われたいという自分のための部分が大きかったと思いますが、DPMを学び始めてからは生徒や保護者のためといった気持ちが強くなっていると感じます。日々のモティベーションがとてもアップしましたし、以前からPSPで学んで分かっていたことですが、さらに自分の思考に磨きがかかり、研ぎ澄まされるということが実感できる日々になっていきました。試合に負けても誰かがけがしても、成功の中には失敗が沢山あり、失敗は成功の一部だ、何があっても大丈夫、失敗すればするほどその後の成功が大きく返ってくると思う様になり、最近は一年の中でネガティブになることがほとんどなくなりました。
また、「大きく飛ぶ前には一回屈まないといけない、屈んだ後は大きく飛べる」と言われ、実はこの春は全国大会を優勝できたのですが、去年の夏は県大会で負けて、全国には出ていません。なのでその時は、来年大きく飛ぶための屈んでいる状況で、これだけ屈んだから大きく飛べるということです。高く飛びすぎて落ちるとケガしちゃうんじゃないかといった心配もあるのですが、それぐらいプラスに考えられるようになりました。
DPMを学んでいるときに一番印象に残っているのは、科学者たちが水槽の中にハツカネズミを入れて、溺れかけたら助けることを繰り返し、時間を計っていくという実験です。僕は体育教師なので、限界まで泳ぎ切った1回目の後に十分な栄養と休憩を与えるわけですから、体力的には向上して2回目は時間が伸びると思っていたのですが、2回目は半分以下の時間になるという実験結果だったそうです。それを聞いて恐ろしいと思いました。人間というのは、守られている環境の中で、自分で自己成長のために努力するということは本当に大変なんだなって思いました。自分がやっている職業を考えると、教師は完璧に守られていると思いました。ハンドボール部を強くしなくても、いいクラスにしなくても、良い授業にしなくても、給料は変わりません。完璧に守られている状況だなと。意図的に努力し自己成長しないと、ボケっとしていると、衰退の一路をいくなと。より日々意図的に意識的に努力していくことが大切だなと思いました。
生徒との接し方
生徒へのアプローチも変えることができました。SMIに出会う前は完全に強制・恐怖・報酬で子どもたちを管理していました。12、3年前は本当にそんな人間でした。怖いから生徒たちは動くのです。報酬はお金をあげるのではなく、勝ったら次の日の練習をなしにする等です。PSPに続いてDPMを採用して、自発的に行動できる永続的なモティベーションをアップしてもらうアプローチが出来るようになっています。両方自分で経験した上で強く思うのは、人は人をコントロール出来ない、ということです。最初は強制・恐怖・報酬(外発的なこと)で子どもたちを自分の思う様に動かしコントロールしていたのですが、内発的に変えようと言う時、信頼がないとダメなのです。外発的にコントロールしていた時は、生徒達はサボるということを前提に考えていたので、そこから信頼し続ける意識をすることは大変でした。
生徒には、成果をあげるためには心構えや思考を前向きにすることが大切とアピールしていますが、高校生はいくらそんなこと言っても、すぐ日常の生活に一喜一憂し、すぐネガティブになってしまいます。テストの点数、練習試合でのプレーの良し悪しや失恋等でネガティブになります。だからなんとかポジティブに、常に積極的にプラスな考えにさせるために何かしないとだめだと思い、言葉・動作・表情をとにかく管理してこれをプラスにしようという心がけをこだわり始めました。例えば今年は高3の担任ですが、初めて会う子たちの中には、「はぁ疲れた」「無理」「やってられない」とか「めんどくさい」と連発する子もいます。ぼーっとしていると本当に疲れていないにもかかわらず「疲れた」と言う口癖になっている子もいるので、こういった言葉は使わないようにさせます。でも習慣ですからついつい使っちゃうこともあるので、「あぁ疲れた」って言っちゃったときは、言い直しさせます。「俺は今日よく頑張った、充実した」と3回言い直させるようにしています。
動作で一番ネガティブなのは膝に手をついて下を向くこと。オーストラリアやニュージーランドのラグビーは強いですが、そこではその動作は禁止されているらしいです。常に胸を張って、疲れた時こそ堂々と、疲れた姿勢を相手に見せない。次の表情に関しても疲れた時こそ笑顔とか堂々といるとか、そんなことを意識しています。ボケーっと何も考えないでいるとネガティブになっていくんだよ、という話をよくします。朝たまに電車で通勤すると、ネクタイをしているサラリーマンのほとんどの方が下を向いて歩いています。だから意識的に管理しないと自然とそうなってしまうんだなと思って、そうならないようにしようと子どもたちに伝えています。
今の僕側からのことばがけも、怒らないわけではないんです。怒ることもあるんです。ただ正しいことを正しく言おうと心がけています。前まではミスがあったら感情的になってすぐ怒って、1時間前のミスをまだ言っているということもあったんですが、そういったことを一切やめて正しいことを正しく言おうとなっています。そのように自分が学んでいくと、周りの指導者の声掛けが気になり聞いていると、例えば「お前勝つ気あるのか」「やる気あるのか」という先生もいます。それが良いか悪いか別として、試合に来てユニフォームを着て、保護者も観に来てる中で勝つ気がない子、やる気がない子はいません。そのようなネガティブなことばが自分の耳に入ってくるようになって、あんな局面はこういった言葉がけをしようといったことも今とても意識してやっています。10年前ぐらいのOBがたまに学校に来ると、以前は無駄にしか怒っていなかった僕が無駄に怒らなくなっているので、その変わりようにびっくりします。最初は忍耐とか我慢だったんですけど、自分には絶対に返ってくると言うことを信じて、そんなようにしています。
更に去年から、ポジティブにい続けさせるためMOCを採用しました。夏休みは全国大会に出られなかったので、午前と午後の間にひたすら聴いていました。自信さえつけば物凄いいいパフォーマンス出るのにという子には遠征のときに聴かせたりしています。あとはスマホのアプリの利用です。MOCの事例がほとんど海外の事例なので、子どもたちに身近な日本人版、サッカーの長友が高校生のときは今一歩だったのが今はすごい選手になっているというような事例を自分が作ればいいかなと思って、共有カレンダーで今日のコラムという予定のところに、これを見ればひたすらポジティブになれるような話を僕が入れています。長友選手の話や、作家の浅田次郎さんが最初は売れなかったが諦めなかっただとか、諦めなかったら目標は必ず達成するという結論のシンプルな話を入れています。子どもたちはよくスマホ使いますから、コラムを見ればポジティブになり、頭にプラスが入っていくことをしています。
2回目の優勝、これからの挑戦
そんなことをしていたらこの3月29日に2回目の優勝が出来ました。わざわざ全国大会があった兵庫まで妻と小学校3年生と6年生の息子が一緒に来てくれて、家族の前で日本一になることができました。
まだまだ挑戦は続きます。この8月に今年二回目の全国大会があります。野球と同じ春の甲子園、夏の甲子園、最後国体、と入っています。この8月のインターハイが次の目標です。インターハイ優勝して、10月の国体も優勝して、三冠を獲って、とありますので、次の目標をもって優勝をしたい。その後、大学生、社会人と混じった大会がありますので、そこで勝つという目標をもって国体優勝をしたいです。
最後に、いつも思うんですが、指導者というのは会社でも同じだと思いますが、信頼したら子どもたちから信頼が返ってきますし、子どもたちに感謝をしたら感謝が返ってくるんだと思います。僕はハンドボールの監督をやりたくてやっています。ただ、監督というのは選手がいなければできないんです。選手が勉強の調子が悪いとかいろんな精神状態のときがある中で毎日体育館に来てくれることは本当にありがたいことなんだって、この子達がいないと自分はハンドボールの監督が出来ないんだって思っています。10年前は高校のスポーツ界というのは厳しい指導の先生がたくさんいて、どれだけ厳しくやったか勝負だったんです。今は指導者がどれだけ尊敬されるか勝負じゃないかと言う風に思っていますし、そんな風に思えたのもSMIとの出会いがあったからだと思います。
日常生活での大きな変化
最後に、僕がSMIを採用してから最も劇的に変わったことは日常生活です。これは妻に感謝されています。それまではひどい日常生活を送っていて、学校に出発する5分前ぐらいに起きてシャワー浴びてすぐ行く。家帰ってもビール飲んでテレビ見て寝る、みたいな感じでした。今は、なんでそうなれたのか分からないですが、5時ぐらいに起きて、家のことをまずやります。CDをかけながら家族みんなのご飯を作って洗濯物を干したりします。5時半ぐらいになると、子どももハンドボールをやっているので、一緒に近くの公園で朝練をします。そして学校に行ってもひたすら教材研究をしたり学年の生活指導の係なので見回りをしたり。あとは必ず毎日ウエイトトレーニングを25分ぐらい学校のトレーニングルームでやります。体を引き締めないと生活も引き締まらないということを勝手に考えてやっています。15時45分から19時ぐらいまで練習して、帰った後も読書をしたり洗濯物をたたんだりします。 こんな風になるのは想像もしていなかったのですが、そんな生活になって、妻は、僕が素晴らしいとは言わないんですけど、SMIは素晴らしいってよく言っています。
本当にSMIのおかげで、感謝しかないです。
プロフィール
久保 晴桜様
企業名: | クルールフルール | |
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事業概要: | パーソナル・カラーリスト | |
担当代理店: | リバティー福岡 | |
採用プログラム: | DPM・DTM・MOC | |
採用年: | 2011年~ |
パーソナル・カラーリストとは
私の職業はパーソナル・カラーリストと言って、色彩の専門職です。パーソナルカラーとは、自分の持って生まれた個性や存在、眠っている素敵なところ、魅力を最高に最大限に引き出して輝かせてくれる色のことです。好きと思っている色とはほぼ違うと言われています。似合う色を身につけることで、肌色が明るく、つや、透明感が出るので、健康的により生き生きと、若々しく、年齢が5歳から10歳若返って見えます。女性は、洋服の色、メイク、ヘアカラーがトータルできまるのでプチ整形効果があるぐらい違います。男性はスーツとネクタイの色がきまるので、よりエネルギッシュで出来る男性のイメージへと繋がります。数秒で決まると言われている第一印象は視覚からの情報が9割以上と言われていますので、パーソナルカラーが重要となのです。
パーソナルカラーというのは、自然界の色が発端で、日光が当たっている部分を暖色系、影の冷たくて青っぽく見える部分を寒色系のグループとして分けられ、更にそれぞれの色の中で自分にとって最高に輝く色があります。例えば赤の中でもワインの赤、トマトの赤等、異なる赤があります。さらにその暖色系と寒色系を、明るい、柔らかい色とはっきりした、落ち着いた色と言う風に全部で4つのグループに分けることができ、これを日本の四季と重なるところから、春夏秋冬の4つのタイプに分けることができます。
実際の診断方法は、肌の色、瞳の色と髪の地毛の色、質感をチェックして、ドレープと言う布を顔の前にあてて決めていきます。寒色系と暖色系、春夏秋冬のタイプを見ていくと、肌色が暗くくすんで疲れた表情に見えたり、表情がきつく見えたりする色、もしくは明るくつやが出て透明感が出る色、生き生きと洗練されて見える色が分かります。そしてその色のグループの中でもさらに輝くカラー、勝負カラーを見ていきます。
このパーソナルカラーは今までに選んだことがない色が似合うことが分かるので、新しい自分や眠っている良さの発見があり、より自信をもって自分らしく進んでいけるきっかけになります。なので、究極の自己肯定や人生観が変わるきっかけにもなります。
SMIとの出会い
SMIとの出会いは、2011年に友人から紹介して戴いたのがきっかけです。その時に戴いた名刺の裏に「ノミの絵」があって、私は絶対にこんな風になりたくない、SMIを採用したいって思いました。しかし、その頃は月に5万円程度しか稼いでおらず、パーソナルカラーは1回診断したら何度も行うものではなく毎回新規の方なため、SMIを採用しても払えないのではないかとか、これは大企業の経営者がするもので、私はやりたくても絶対できないだろうなと思いましたが、私がこの仕事を始めたときに中学の同級生の男子から、「なんなんそれ、オーラが見えるん?」とか、「そんなこと稼げるわけないやん」と言われたことが、とても悔しく腹が立ち、絶対成功して見返してやると思っていたので、SMIを採用しました。
目標設定の力
採用後は月の支払いに対する不安と心配の毎日が続いていましたが、パーソナル・カラーリストとして成功できるというのを前提に、とにかく毎月払って、食べていかないとと思い、SMIで人数の目標設定をしていきました。まず、生活のために必要な人数が30人。少し潤って、洋服や美容代に使える人数が40人。憧れの外車を購入するために50人、念願のスタジオを持つために55人と目標を決めて、達成していきました。
SMIを始める前も、自分は目標指向だと思っていて、前年よりも今年、先月よりも今月と増加すればいいと思い、それでそれで満足しいたのですが、最初にゴールを決め、逆算して月、週、日の目標を決め、描いて達成していくというSMIの考え方に変えました。この考え方でなければ絶対に外車もスタジオも持つことは出来ていなかったと思います。なので、SMIには本当に感謝でいっぱいです。
私はいつも自分の考えがなく、無策でしたが、プログラム採用以降はSMIだけで目標達成をしてきました。経営者の会議も、セミナーにも行ったことはなく、経営コンサルタントに講座形式や顧客管理を勧められても、絶対にSMIのことしか聴きませんでした。その経営コンサルタントには「私はSMIだけでやっていっているし、順調に来ているので心配しなくていい、SMIをしたら絶対に売上があがるのでSMIを紹介するよ」と言ったらそれからその人は一言も何も言わなくなりました。
2016年には、最高新記録の人数を達成できました。仕事を始めたころの約10倍の人数で、SMIをやっていなかったら絶対にこんなに伸びていなかったと思います。最高人数を達成したのは年末でしたが、年末は日数が少ない、キャンセルが出る、見込み客がいない等、私の中で言い訳大魔王がささやくのです。しかしそんな時はSMIのプログラムの中の可能性は無限大というのをいつも自分の中で繰り返します。
その時は、月末残り3日で月の目標は達成できており、日数は少ないのでなかなか決心がつかなかったものの、あと2人で最高目標が達成できると考えたら、これはやらないともったいないと思い、今度は達成した自分を描きます。最高人数を達成出来て、SMIの担当の方に報告して、「良かったな、おめでとう」って言われているところや、達成した後に紅白を見ながら、「今年も自分よく頑張ったなぁ」と言っているところを描きます。すると奇跡的に「帰省してきている娘のために30日にカラー診断いいかな」という連絡や、友達からの連絡が来て、目標を達成することが出来たのです。
それ以外では、去年私の家から1メートルも離れていない隣の家が火事で全焼しました。月末だったので、今月ちょっと目標達成無理やなとか、自分に似合う色の服も燃えてしまうな、と思いました。なによりも、今月の目標どうしようと、真剣にSMIの神様に祈りました。すると、その場で営業した消防士さんたちには断られてしまいましたが、思ってもみないところから予約が入って、火事に関わらず、目標達成できました。そしてなんと隣は全焼だったのですが、全く燃え移りもせず、水圧で窓ガラスが割れたり水びたしになったりすることもなかったのです。私の部屋の火事があった家がある側に目標を書いて、貼っていたので、これはSMIが助けてくれたなと思っています。私はSMIのおかげで超強運です
習慣
私は人数を目標にしていますので、例えば明日3人やると決めて3人お客さんが入ったところをイメージしながら寝ます。朝起きてすぐに今年、今月と今週の目標、今日何人決めるか、やりたいかやりたくないか、決めるのか決めないのかと言うのを決断します。そこが決まったらビジュアリゼーションです。まず5年先のゴールを達成した自分。それから今年の目標を達成した自分。そして今月、今日、と描いていきます。それが描けたら必ずその日の目標が達成できます。雑念が入りなかなか描けないときがあり、その時はやっぱり目標は達成できません。その理由は、ゴールが決まっていないからです。それではもちろん描けないし、今日の目標ももちろん達成できません。決めたつもりでも、決まっていないというような思い、気持ち、無目標のときはすごく調子が悪いです。風邪をひいたときよりも調子が悪くなります。ですから無目標の自分は相当嫌いです。
また、その朝のビジュアリゼーションを日中も崩さないように努力しています。毎日あるのが、本当にきついし、やりたくないと思う時もありますが、目標を達成したときの喜びは最高です、それ以上の喜びはありません。なので目標に集中して目標を達成している自分はとても大好きです。とにかく目標を達成できること以外の喜びは他にはなく、目標達成以外は何の興味もありません。
今後の目標
SMIで毎日ビジュアリゼーションをして、これからも目標や夢をSMIだけで達成していきます。これから先の夢、目標は、2018年に東京デビューします。東京でカラー診断の予約が入ります。一年に2回クライアントが入り、信者が現れて、2020年には東京で格安でスタジオを持つことができました。35階の放送ビルからその景色を眺めながら清々しい気持ちで、カラー診断をしています。東京の人たちにもカラー診断がすごく喜ばれて2025年にはフランスデビューし、フランス人にも喜ばれます。そして年の3分の1をフランスで暮らすようになり、目標指向で日本語がペラペラなフランス人と結婚しています。そして、パーソナルカラーが沢山の人に喜ばれて2025年には情熱大陸とプロフェッショナルの取材が来ます。情熱大陸はもう放送日が決まっています。プロフェッショナルは3日後に決まる予定です。
実は、SMIのクライアント大会で体験発表したいとずっと思っていました。私は普通の人なので絶対無理だなと思っていましたが、実はこの光景が心に描けていました。心に描けたことは必ず実現できるのです。そして、2017年の4月23日に念願のスタジオを持つことができました。SMIには本当に感動と感謝でいっぱいです。ありがとうございます。
このように心に描けたことは全部SMIで実現することが出来ます。実際に出来てきました。
なので、私はSMIに恩返しをします。1年に何人ってSMIを紹介する人数を決めており、今年は5人です。紹介してSMIを採用した人の表情がとても明るくなって生き生きと変わるのです。私はそれを見てうれしいし、SMIはすごいと思ってもっと多くの人に紹介します。そして再来年には会う人が私を見て、「どうやったらその好きな仕事で稼げるん」とか「どうやったら次々と夢がかなえられるん」って聞いてきます。そこで私はSMIを紹介し、毎月少しずつSMIの採用が決まります。私はそんな自分になっています。
本当にSMIのおかげで今の私があります。SMIに出合っていなかったら今の私はいません。私のことを馬鹿にしてきた同級生の男子は、みんなカラー診断を受けました。その中の一人が内装業者をしていて、私のスタジオの内装をしてくれました。その時にその人が「よく頑張っちょんな」って言ってくれて、すごく嬉しかったです。「よし、見返せたな」って思いました。そしてまた別の一人が彼女にカラー診断をプレゼントしたいって言って、2日後に予約が入っています。本当にありがたいなって思います。
SMIには大大大感謝、無限大です。ありがとうございました。
ケース 1 | 株式会社 三宝(各種飲食店の運営、FCチェーン展開) |
ケース 2 | 有限会社 ケーキハウス・アン(製菓製造、販売) |
ケース 3 | 株式会社 クーロンヌ・ジャポン(パン製造販売、レストランカフェ事業) |
ケース 4 | 株式会社 前田家(釜めし食材製造、販売、卸売、FC本部運営) |
ケース 5 | 株式会社 玄(理美容学校経営、理美容院経営、FC展開) |
ケース 6 | ファイナンシャルアライアンス株式会社(保険代理店) |
ケース 7 | 株式会社 ペッパーフードサービス(飲食店直営店運営、FC展開) |
ケース 8 | 有限会社 まるしげ(和食飲食鮮魚販売) |
ケース 9 | メットライフ生命保険 株式会社(生命保険) |
ケース 10 | 林田税理士事務所(税理士、行政書士、社労士、コンサル他) |
ケース 11 | 株式会社 ピーターパン(パン製造販売) |
ケース 12 | 医療法人社団 誠敬会 (歯科を中心とする包括医療) |
ケース 13 | 株式会社 TBIホールディングス(飲食、インバウンド、不動産業等) |